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第二部 パネルディスカッション

『震災後2年、これからの支援のあり方を探る』

第一部の事例報告を聞いた参加者からの質問や提案も交えながら、双方向での議論が展開されたパネルディスカッション。震災から2年を経た今、被災地ではどのような支援が求められるのか。現場で活動を続ける4名が実例とともに提案する、これからの支援について。

秋山訓子  ファシリテーター

東京都出身千葉県育ち。東京大学文学部卒業、ロンドン政治経済学院修士。朝日新聞社入社後、政治部、アエラ編集部、経済部などを経て、現在GLOBE編集部所属。著書に『ゆっくりやさしく社会を変える』。

本間照雄  パネリスト

宮城県出身。宮城県保健福祉部在任中に学位(博士(文学))取得。現在は東北大学大学院社会学研究室専門研究員。専攻は福祉社会学、地域福祉論。震災後は南三陸町保健福祉課福祉アドバイザーも務める。

白鳥孝太  パネリスト

千葉県出身。阪神淡路大震災でボランティアを経験。新聞社勤務の後、2005年公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)職員として、アジア各地で緊急救援に携わる。2011年から同会の気仙沼事務所に統括として在任中。

山内明美  パネリスト

宮城県・南三陸町出身。慶応義塾大学卒業。一橋大学院言語社会科博士課程休学中。現在は宮城大学の特任調査研究員として南三陸町の復興支援、現地調査に取り組む。著書に『こども東北学』『「東北」再生』など。

石本めぐみ  パネリスト

和歌山県出身。東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム修士。金融会社勤務を経て、2011年5月から宮城県登米市を拠点に三陸沿岸部での支援に携わる。RQ被災地女性支援センター(RQW)副代表。

被災地で継承されている歴史や文化の素晴らしさを外に伝える

秋山:1部で事例報告してくださった本間さんと白鳥さんに加えて、2部では山内さんと石本さんに登壇していただきます。まずは自己紹介をお願いします。
山内:山内明美です。私は南三陸町・志津川の山側、入谷(いりや)地区出身で、現在は宮城大学が2012年4月に設立した「南三陸復興ステーション」で仕事をしています。震災当日は在籍している東京の大学にいて、なかなか家族と連絡が取れず、2週間後、実家に戻ると、消防団の副団長をしている父親が、自分の車で遺体を運び続けているという状況でした。防災庁舎で消息を絶った叔父は、今も見つかっていません。「南三陸復興ステーション」は、大学間のネットワークを利用して、南三陸の資源を使った持続可能な村・町づくりを目的に活動しています。今、間伐ステーションではちょうど山の手入れ作業をしています。南三陸町出身ですが、支援する側でもあって、引き裂かれるような難しいポジションにいると思うこともあります。
石本:RQWの石本めぐみです。支援やボランティアの経験はなかったのですが、会社でCSRに関わったことから興味を持って、働きながらCSRやNPOの研究を始めていました。ちょうどそういう関係の仕事をしようと思って会社をやめたときに震災が起きて、災害ボランティアとして宮城に入りました。RQWは、被災地でのさまざまな活動において、女性の視点が足りないのでは? と思った仲間が集まって始まりました。登米市と気仙沼、南三陸を中心に、地元の女性たちの活動を下支えするような支援に取り組んでいます。
秋山:編集長から、参加者とパネリストの双方向のコミュニケーションを通じて、具体的な話をする場にしたいという挨拶がありましたが、皆さん現場をお持ちの方ばかりです。その現場での体験をもとに、外から来る方と一緒に何ができるかを考えたいと思います。1部で歴史や文化を掘り起こすという話がありましたが、「具体的にはどういうことを指すのでしょうか」という質問が来ています。
本間:ボランティアのシーンもだいぶ変わっていて、ものの提供、あるいは外のものや考えを単に取り入れるという状況ではなくなっています。南三陸町は大変な被災をしましたが、入谷地区には、有名な伝統芸能や食があるように、歴史や文化は残っています。ただ地元の人は、それが外の世界に通用するものだと思っていません。この機会に、この土地に残る文化の素晴らしさを表に出していく――たとえば県外に伝えるシステムができれば、南三陸の人はすごく元気になると思っています。ボランティアの人には被災地を見て、実際に被災した方の話を聞くことで、今後の災害に備え、役立てる、生きた教育の場にしてほしいですね。たとえば親子が一緒に被災地を見ることで、災害時にどう振舞い、助け合うかを学ぶ機会にしてもらえればと思います。
秋山:質問を書いてくださった大山さん、感想をどうぞ。
大山さん:参考になりました。『FORTUNE宮城』でも、地域の特産品を一緒につくる話が出ていたので参考にしたいと思います。被災地に親子で行って、防災にも目を向けたいです。

体験型観光を通じて被災地に足を運び、被災地の今を知る

秋山:被災者と支援者の双方向の交流をどうつくっていくか。1部で白鳥さんから静岡の支援者の話がありました。サイトやネットなど、今もいろいろあると思いますが、交流の場はどのようにつくっていけるでしょうか。
白鳥:難しい質問ですね。私たちは今、南三陸に近い本吉(もとよし)という漁村の多い地区のまちづくりをお手伝いしていますが、被災者・支援者という関係はだいぶなくなっています。ご想像の通り、こういう場所は自治会長さんが強いんです。地域のことは自治組織の会長さん、役員さんの話し合いで決まっていく傾向がある場所に外の人間が入ることで、新たな関係が生まれています。私たちは広く地域住民の声を集め、その声をどう整理するかをお手伝いしていて、特に若い人や女性の声を反映したいと思っています。こういう場面で自治会長さんと意見を交わす上では、被災者・支援者という関係はなく、一緒にまちづくりに取り組み、学んでいるのが現状ですね。
秋山:同じ趣旨の質問だと思いますが、吉田さん、どうですか。
吉田さん:震災から2年経ち、当事者同士の意思の疎通はあるのでしょうが、一般市民はまちづくりがどこまで進んでいるかわかりません。今だに被災地はボランティアしか行けないと思っている人もいると思います。被災者と支援者の双方向だけでなく、被災地の実情や復興の現状が広く発信されるとよいと思うのですが、情報公開についてどう考えていますか。
白鳥:ひとことでいえば「観光化」、従来と違う体験型観光ですね。気仙沼市役所内では観光戦略会議を設けています。たとえば我々が食べているワカメの多くは養殖ワカメですが、その種付け、ケア、収穫がどのように行われているか。命をいただくまでのプロセスを、食育として親子で体験してもらう。こうしたプログラムはワカメだけでなく、カキ、ホタテなど、各支援団体がつくっています。漁師さんには日常に過ぎない作業が、外の人間にはおもしろいことなので、こういうプログラムに参加することを、被災地に足を運ぶきっかけにしてもらえればと思います。参加者を増やすために外に向けた情報発信などは、ぜひ東京で手伝ってほしいですね。
秋山:教育、歴史・文化に加えて観光も、被災地と支援者とをつなぐツールになりうるという提案ですね。学生さんから、「若い人の力を生かせる場はありますか?」、「学生にもできることはあるか?」という質問がありますが、山内さんどうでしょうか。
山内:体験学習も含めて、大学には世界中から大勢のボランティアが来ています。今はちょうどシーズンで、宮城大学の間伐ステーションでは毎日、木を伐り出しています。南三陸町は海の町であると同時に町の78%は森林です。ただ高齢化で山に手が入らず、炭焼きも行われなくなり、毎年5~6m2森林が増え、自然がまちを覆っている状況です。国家プロジェクトとして、林野庁が山に手を入れる動きもありますが、大学では伐採木を、ステーション内の薪ストーブや木質バイオマス発電(スターリングエンジン)に活用しています。まだ3kwの発電ですが、エネルギーをつくる動きもあります。また地元の木を利用した家づくりも検討しています。南三陸町は高齢化率が高く、高台移転して、ローンを組んで家をつくるのは困難なのですが、住民の方々は集合住宅に抵抗感を持っています。そのため、現状1500万ほどかかる費用を500万くらいに抑えられるように、自力で木を伐り出し、ある程度製材して、地元にある結・講を使ってみんなで家づくりできないかと。そういう動きがあるので、学生さんにはどんどん来てほしいですね。実際、長期休暇時には間伐ステーションに大勢入っています。戸倉地区には震災以前から慶応大学が入っていて、林学課では演習林で学習する場づくりも進んでいます。入谷地区には持続可能な村づくりを学ぶために、24の私立大学が共同出資した「南三陸研修センター」が3月18日にオープンしました。5月からは、「森は海の恋人」の畠山信さんが客員教授を務めている京大フィールド研究所の看板講座「森里海連関学」も始まります。「森里海連関学」では南三陸の森、川、里、海という一連の生態系を現場で学びますが、町民講座も開催するので、皆さんに参加してもらえます。
秋山:若者の話が出たので、女性の視点を生かしてどんな支援ができるか、女性に焦点を当てた活動している石本さん、いかがでしょうか。
石本:RQWでは、被災を機に6次産業化(*1)を進めている南三陸町生活研究グループの女性たちを支援しています。農業や主婦をしてきた女性たちにとって、知恵を出し合い、意思決定し、お金を算段するのは大変なことなのですが、会を重ねることで、自分の意見を口に出せるようになってきています。今、月に一度、被災地の支援をしたいという経営コンサルタントや会計士の方に、地元の事情を理解してもらった上で、自分たちで考え、意思決定するためのアドバイスをしてもらっています。加工場づくりは簡単なことではありませんでしたが、その積み重ねでもうすぐ加工場ができます。あと、『FORTUNE宮城』3号の企業の取り組みというテーマで、南三陸町の被災者生活支援センターの支援員さんに話を聞いたのですが、皆さん、報告書を書くことや、電話応対に不安や苦手意識を持っているんです。そこである企業がCSVの取り組みとして、ファシリテーションの仕方、電話応対を行ったのですが、1、2日間研修を受けることでスキルが身につき、自信も能力もアップすることがわかりました。
秋山:企業の人にとっては朝飯前のことが、経験のないお母さん方にとって身に付けたいこと、現場で役に立つスキルだったりするわけですね。皆さんにもできること、そのヒントになる話でした。

*1 第1次産業である農林水産業がその生産にとどまらず、それを原料とした加工品の製造・販売、観光農園など地域資源を生かして、第2次、第3次産業まで踏み込むこと。

地域の社会コスト削減にもつながる、高齢者の雇用

秋山:次は雇用についての質問です。1部で本間さんから「傾聴するなら仕事をくれ」という話がありましたが、高齢者の雇用についてはどうでしょうか。
本間:実は、被災地には仕事があるのに、地元の職場に人が集まりません。なぜか。復興予算がついて、給料が上がってしまったからです。支援員の給料が11万円くらい。ところが復興関係の仕事だと20万円近くもらえるから、加工場の仕事が成り立たないんです。ただ国や県に文句をいっていても仕方ないので、やれるところから始めています。1部で話した滞在型支援員はその典型ですが、高齢者の方が向いている仕事はいろいろあります。今後、南三陸町で930戸の災害公営住宅ができると、公共スペースの掃除や検針などの仕事ができます。もし高齢者が災害公営住宅の部屋に居たきりになれば、身体機能は低下し、介護保険の費用もかさみます。ところがその人たちが社会的役割を持つことで元気に生活すれば、保険代がかからなくなる、つまり社会コストが下がるわけです。単に収入を生むだけでなく、お金のかからない地域社会づくりという成果をもたらすように、社会的コストを下げるための仕事をつくるという視点も大切です。そこに企業の技術を投入すれば、体力や知力が落ちている高齢者の方も仕事ができるわけで、その枠組をつくることが大事だと思っています。
秋山:収入を得るだけでなく地域の社会コストを削減できる、二重の意味で効果があるという新鮮な視点ですね。質問をしてくださった石井さん、何か感想などあれば。
石井:聖路加福祉大学で、福島に特化した医療支援をしています。まず雇用問題の前に、皆さんは活動資金をどうやって調達しているのでしょうか?
白鳥:私たちはNGO団体なので、個人の寄付や企業の支援、それに助成金を組み合わせています。
石井:福島の医療では派遣ではなく、現地に常駐する人が必要なのですが、もともと過疎化が進んでいた場所に震災、原発事故が起きて、そこで就職する人はいないという問題があります。高齢者の方に仕事を、というのは県の予算でやっているのでしょうか?
本間:現時点ではそうですが、補助金に頼る支援から、通常のシステムに移行しようとしているところです。公営住宅の管理などをシステム化すれば、恒常的な制度としてやっていけると考えています。
石井:それは復興支援金ではなく、民間からお金を集めるということですか?
本間:災害公営住宅の場合、家賃収入の一部を共益費として集めて、それで管理などの仕事に高齢者を雇用していきます。地元への思いのある高齢者が社会的役割を持つことで元気になり、事業者はローコストで管理できる、つまり双方にメリットがあるわけです。
石井:福島には放射能の問題がありますが、宮城・岩手は復興バブルで、宿も取れないという不思議な状態になっているようですが。
本間:医療については震災以前から、就労者の確保が難しかったのですが、震災で加速しました。介護や生活支援については、支援員さんが活動を通じてすごく勉強しています。何度もいいますが、支援員さんは先の長い復興における人財です。実際、彼女たちは福祉の担い手になりつつあるし、私たちも皆さんがヘルパーの資格を取って、介護施設に就職する流れをつくっています。
石井:そういう事業に対して、県から復興支援金はおりやすいですか?
本間:おりますけど、それはあくまで短期間の話です。復興支援金だけに頼ってやると、あとで大変になるわけですから。
石井:民間企業として利益を出す必要がある、ということですか。 
本間:私たちは企業の方と組んで、少人数でも高い質を担保できるシステムづくりをしています。看護士さんとなると教育にも時間がかかって難しいと思いますが、専門家でなくても、地元にいる主婦たちの、生活者としての能力は素晴らしいものがあります。生活支援、介護の世界は、企業と組んでシステムをつくれば、実は人財になる人は山ほどいます。
石井:新しい産業もつくれますか。
本間:はい。今から南三陸で人口を増やすことは厳しいけれど、6次産業化を通じて、交流人口を増やすことがこれからの勝負どころですね。皆さん、人口減少を悪く見がちだけど、適切な規模、少数であるがゆえのコンパクトシティとしてやっていくための生活支援システムをつくる実践の場として、私たちは支援センターを運営しています。専門職がすべて揃ってなくても、町民に若干学んでもらうことで、決め細やかな支援を実践できるし、それは今後の社会に必要なことだと思います。
秋山:木村さん、今のお話に感想や質問があれば。
木村:高齢者やひきこもりがちの方に支援の側に回ってもらい、自助の仕組みをつくる。とても素敵なアイデアですが、難しいこともあると思うのですが、どう対処し、工夫されているのでしょうか。
本間:困難はありません。南三陸町の人は、誰一人逃げようとしていないし、何とかこの町を支えるために、自分ができることがあればと思っています。ないのはシステムだけです。システムを用意して、「この町を救ってくれませんか」といえば、お年寄りはそれを粋に感じてくれます。130人の支援員さんは、今まで誰一人こういう仕事をしていませんでしたが、町を救うために、彼女たちは誰にも負けない生活のプロとして、被災者支援を担っています。大切なのは場づくり、システムづくりなんです。

被災地のさまざまな問題は、30年後の日本社会の問題でもある

秋山:支援をする/されるでなく、社会的な役割を持つことで、高齢者の方も生き生きできるという話でした。次は佐々木さん、質問をどうぞ。
佐々木さん:これまでは心のケア・生活支援が中心でしたが、これからはアウトリーチの手法を使って、被災地の声を聞いて仕事に結びつける、産業支援はできないかと考えています。復興の話は大企業が中心で、結局、お金も東京に流れています。でも、地域における経済支援、ちょっと後押しすれば仕事はつくれるのではないかと自分自身も模索しているので、それを共有させてもらいたいです。
本間:ひとつは地元の食材を利用した番屋レストランです。材料はあるけど技術がないので、皆さんの知恵をお借りしたいところですね。あと、応急仮設住宅に住む高齢者の方は、町に買い物に行くのが大変なので、移動販売車に巡回してもらいたいと考えています。軽トラ朝市、軽トラマーケット、軽トラコンビニ……。被災して店を失った人が組合をつくって、企業から軽トラやシステムの提供を受けて移動販売する。できれば、若い人が新しい感性でやってくれれば町が活気づくと思っています。
秋山:非常に具体的な提案ですね。山内さんはどうでしょうか。
山内:今、南三陸町には大企業の方や著名な方がたくさん来てくださっています。たとえばシェアオフィスのようなかたちで、企業から人を派遣してもらい、南三陸町や気仙沼を拠点に仕事を発想してもらえればと考えています。東京ではオフィスはばらばらですが、ここでは複数の会社が同じ場所にあって、会社間のネットワークができる。そこに大学も入れば、いろいろなつながりができます。今、被災地で起きている人口減少、少子高齢化などの問題は、30年後の日本社会の問題が前倒しで表出したという状況で、ここで何とかできなければ、ほかでも解決できないでしょう。ゆくゆくは日本全体が抱える問題を解決するには、皆さんが集まって知恵を出し合う必要があります。福島のことも同じで、医療問題を解決するため、日本社会全体が考えを共有するには、現場に人を送ることが必要ではないでしょうか。
秋山:継続的に来てもらうためにシェアオフィスをつくる。そこに行けば企業のあらゆる情報が入手できる。そういう環境をつくるという提案ですね。白鳥さん、どうですか。
白鳥:番屋レストランとほぼ近いのですが、蔵内(くらうち)浜でワカメの養殖をしている漁師の奥さんがお弁当をつくろうと、ワカメハンバーグ、ワカメ餃子など、試行錯誤しながらメニューを考えています。なぜお弁当かというと、今、建設業者の人がすごく多いのですが、皆さんコンビニ弁当を食べているんです。それで身体にいいものをということでワカメ弁当の製造・販売を、最終的には販売所をつくりたいと思っています。こういう話は実はたくさんあって、まちづくりのワークショップをやると、若い人から「地元の食材を使ったレストランやカフェをやりたい」という意見が聞かれます。観光で来る人だけでなく、自分たちにもそういう場があれば、生活にゆとりができて楽しみも増えます。こういうアイデアをどう実現するか、そのアドバイスや資材提供などが、これから求められると思います。まちづくりの取り組みは地域ごとに異なるので、とらえどころがない面もあるのですが、私たちの仲間が仙台で、県の状況全体を把握しようと日々努めています。福島や岩手県でも連携復興センターをつくって、情報をできるだけ外に発信しようとしているので、仙台の会合に定期的に顔を出したり、メーリングリストに登録するだけでも情報は入ると思います。
秋山:地産地消のお弁当やカフェなどは、今日参加されている皆さんにも助けてもらえるのではないでしょうか。石本さんはどうですか。
石本:支援=何かしてあげないと、と思いがちですけど、支援のステージもどんどん変わってきています。私たちが被災地で学ぶことは、実はたくさんあります。入谷地区のお母さんにはよく「あんた、東京で地震があったらどうするの」と聞かれます。入谷なら山に食べ物も水もあるから1~2カ月暮らせるけれど、東京は何もないから、どうするのと。お母さん方はドラム缶のようなものに薪をくべて火を熾して煮炊きして、塩麹から味噌を、漬物も天然のものでつくります。サバイバルじゃないけれど、生活に密着したたくましさや生き残り術は東京の生活にはないもので、私は見るたびにすごいと思うのですが、お母さんたちにとっては普通のことで、その感動は本人たちに伝わっていないんです。なので今ある被災地視察ではなく、その素晴らしさを体験できるツアーを企画したいですね。被災地のお母さん方と話をして、田舎暮らしの魅力や知らなかったことを発見する。お母さんたちも自分のやっていることの価値に気づくような、互いに発見、学び合えればいいなと思います。

被災者支援のためのシステムは、全国の過疎対策にも応用できる

秋山:暮らしのサバイバルツアー、互いに学び合うツアーもいいですね。山内さんからは30年後の日本社会の問題が前倒しされたという話がありましたが、同じ趣旨の質問をされた矢島さん、どうぞ。
矢島さん:震災後、被災地以外の場所でも、今まで通りの生活ではいけないと思っている人は全国にたくさんいます。ただ少子高齢化や過疎化が進む地域に入ってどんなことをできるか、課題は多いと思います。企業としてはCSRなら入りやすくても、いざCSVとなると利益も求めますが、今は自治体も財政が厳しいので企業でまわしてください、という話になります。そうなると横展開、標準化できること、あるいは売るものがあるなら会社として、活動を認めるという話になりがちです。NPOと違って利潤を求める企業が今後、地域とどのように関わっていけるか、社会問題にどう取り組めばよいか、考えを聞かせてもらえますか。
秋山:今後の支援を考えるに当たって、多くの企業が抱く疑問ではないかと思います。
本間:今の話は人口減少社会での喫緊の課題ですが、人口減少社会での、活力ある生活支援のためのシステムと被災者支援のシステムには互いに通じる汎用性があると、私は考えています。南三陸町が企業とやっているのはまさにそのシステムづくりです。入り口は被災者支援。でも、老々介護、一人世帯を各地域が支える上で、被災者支援システムは利用できます。今、企業が対価を求めずに開発してくれているシステムは、実は平時にも使えます。軽トラの話も、効率的にマーケットを回るシステムをつくれば、過疎対策として応用できるように、今の状況を突き詰めると、汎用性のあるものになるはずです。南三陸町の人口は、以前から減少していましたが、震災がそれを如実に顕在化させました。この機会に企業さんと手を組めば、他の多くの過疎の市町村でも、生まれた土地で暮らし続けたいという住民を支えるシステムはできます。それは全国にニーズがあると思うので、事業として成り立つと私は思っています。
矢島:社会問題を抱えている地域のシステムを、被災地で利用するという逆のパターンもありえますか? それぞれの地域には特色があるので、標準化は難しいと個人的には思っているのですが、そういう仕組みを被災地の皆さんと考えていくことは可能でしょうか。
本間:都会の共同購入システムは、被災地でも使えるでしょう。
秋山:互いにモデル化、標準化、汎用化することは可能かという話でした。最後に、いろいろ書いてくださった質問者の方から、パネリストの方へ、どうしても聞きたい、提案したいことがあれば。
久村:外から来た人は地域の人と手を取り合いたい、受け入れてもらいたい気持ちが強すぎて、それはよくないとわかっていながら、本来いった方がよいことも、遠慮していえなくなってしまうことがあったりします。外の人間が地域にどう溶け込んでいくか。皆さんは日々の活動の中での壁に突き当たることなどはないのでしょうか。
秋山:受け入れてもらえるかどうか、その間合いというのでしょうか。
本間:時間だと思います。
山内:対被災地という以前に、都会で暮らしていても、知らない人のところに急に話を聞きに行きたいといえば、相手は懸念を示すように、他者と関係を持つ上での基本的なところではないかという気もします。彼らは被災して傷ついていると、たしかにそうだけれど、何か過剰に腫れ物に触るような感じになっていないかと。時間がかかるでしょうけれど、顔を見せ続けることが大事だと思います。
白鳥:日々悩んでいます。秋山さんが奇しくも間合い、とおっしゃったけど、僕は古武術をやっていたのでスタッフには“間合い、間合い”といっていました。がっぷり組みすぎても抜き差しならなくなるし、かといって逃げていては本音で話せない。本当に時間だなと思うのは、1年8ヵ月間、いろいろお手伝いを繰り返してきて、最近ようやく自治会長の方々とまちづくりについてけんかするようになったんです。ワークショップの席で、「そういうやり方だと僕らは手伝えないのでもう来ません」と、ようやくここ数ヵ月でいえるようになりました。けんかはよくないですけど、多くの住民の声を拾うために協力しているのに、これでいいと断定されると、それなら手伝わないという態度を取ることが大事なときはあるので、やはり時間が信頼関係を築いていくのだと思います。
石本:同じです。私も日々ぶれています。どうしてもひと言がいえなくて、何でいえなかったのかと思い悩んで。でもやっぱり違うと思って、後から「これは駄目です、自分はこう思います」と伝えて、今度はいい過ぎたかなと、また悩んだり(笑)。でも、ただいいたいからではなく、心から何とかしたい、これを変えていかないとその先に進めないという思いをきちんと説明すれば、相手もわかってくれるんです。実は気を遣っているのは自分だけじゃなくて、お互い気遣いをし合っているので、その葛藤を乗り越えて互いの本音を話し合うなかで、ともに歩んでいけるのではないでしょうか。
秋山:支援する側・される側と分けるのではなく、こうして席を同じくして話すだけでも互いにどう思っているのか、発見はあったのではないでしょうか。教育・観光などこれからの支援を考えるヒントになったのではと思います。皆さん、ありがとうございました。

(構成/塚田恭子 原稿制作協力/江戸川淑美、野口大助)